「うぅ」
「えー」
「れっ」
息子は、機嫌がいいときに声を出すようになった。生後2ヶ月くらいからはじまる、クーイングと呼ばれるものらしい。
ひとつ、飛び抜けて印象に残っている音がある。それは、うんちをふんばっているときに発した「キエーーッ」という高い声。少年マンガに出てくるザコキャラが、盛大に倒された時のような音色。
聞いたときはおかしくて笑ってしまったけれど、よくよく考えると「キエーーッ」よりも、適当なことばはないような気もしてくる。「くおーっ」とか?やっぱり「キエーーッ」の方が切迫感があっていいね。
息子を観察していると、じぶんにとって気持ちいい音感やリズムを見つける旅をしているかのように見えてくる。言い換えるなら、じぶんらしい文体を育てていく旅。
「ふぃー」
「はっ」
「ひゃい」
その無邪気で、ことばにならないことばたちが、手垢のついた「教育」というラベルを剥がれ落ちさせていく。受験のための国語や、グローバルで生き抜くための語学よりも、まずは息子がじぶんの唇や喉にとって気持ちいい音を見つけることを応援しよう。
人は、音感やリズムからことばを覚えはじめ、やがて言葉を使い、たくさんの意味をつくり出すようになる。でもけっきょく最後は、音やリズムなどの「文体」しか残らないのではないか。
たまに詩を読み返したくなるのは、意味や情報を得たいからではなく、その背景に流れるリズムにまみえたいからな気がする。少なくとも僕はそうだ。たとえば、まど・みちおさんの「どうして いつも」という詩がある。
太陽
『まど・みちお詩集』より
月
星
そして
雨
風
虹
やまびこ
ああ 一ばん ふるいものばかりが
どうして いつも こんなに
一ばん あたらしいのだろう
もしこれが「太陽、月、星などの一番ふるいものばかりが、一番あたらしく感じる」というただの情報だったのなら、なんども読み返したいとは思えない。まど・みちおさんの地球のささやきのような文体で存在しているから、なんども何度も反芻したくなる。
それは流行りのビジネス書や自己啓発本では、なかなか味わえないものだ。意味や価値は時代とともに移り変わっていくが、文体は、いつも同じリズムや質量で出迎えてくれることがある。ときに文体は、普遍性を持つことがあり、内容よりもメッセージ性を帯びる可能性を秘めているのだと思う。
仕事でコピーライティングをするさい、文体はひとつの手段だと捉えていた。そんな自分が「文体しか残らない」なんて言い出すなんて。こどもと一緒に生きることで、まったく新しい扉が開けてしまった。「キエーーッ」という音を鳴り響かせながら。
©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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