息子が退院した。病院以外の世界へ、はじめて踏み出す。
ぼくにとっては、出産に立ち会って以来、51日ぶりの再会。
けれど息子は、父なんかの存在よりも、あらゆる外部刺激の方に興味があるらしい。妻に抱っこされながら、自家用車まで運ばれるあいだ、真新しい世界をキョロキョロと見回していた。
ぼくは、その景色の一部でいい。両腕に荷物を抱え、母子を護るシークレットサービスに徹する。
ぼくら夫婦も、病院の家族用施設にながらく滞在していたので、久しぶりの帰宅だ。病院から自宅まで、約1時間半かかる外房の道のり。海岸沿いにつづく変哲もない一本道。思い返せば、この約2ヶ月間で、いろんな感情を乗せて車を走らせた道だ。
10月14日。出産に立ち会ってから、ぼく1人で帰路についた日。
「次にこの道を通るときは、3人だなあ」と思いながら、希望と、ちょっと落ち着かない気持ちで、車内は溢れていた。
10月21日。母子が退院し、3人で帰る予定だった日。
息子はNICUに入院、妻も体調不良のため入院が延長された。ぼくは病院にものを届けて1人で帰る。助手席にもチャイルドシートにも人気のない車中は、どこまでも空気しか存在しなかった。
10月31日。妻が退院し、2人で一時だけ帰宅。その後すぐに病院の施設に戻った日。
息子がいつ退院できるかわからない不安。妻は産後の不安定さもあいまって、道中、頬を濡らしていた。束の間の自宅は、いつもと何も変わらず優しい光で満ちていた。
今日、12月3日。息子が退院し、はじめて3人で自宅に帰る日。
嬉しいという意味が、更新されるほど嬉しい。しかし嬉しさ以上に、緊張が勝る。けして事故らぬよう、少しでも慣性力がかからぬよう運転する。こんなに道路って凸凹してたっけ?こんなに道幅って狭かったっけ?こんなにも大型トラックって威圧感あったっけ?
きっとどんな大統領や金塊を後ろに乗せていても、こんな気持ちにはならないでしょう。対して息子は、はじめてのチャイルドシートに座してずっと寝ていた。ぼくより何倍も悠然としていた。
息子と妻と同じ空間にいて、息を吸ったり、歩いたり、哺乳瓶を洗ったり、一つひとつの活動が新鮮で、まばゆくて、いちいち琴線に触れてくる。こんな「新生36歳児」がつづいては、この先、生きるのが大変だ。
早くたくさん泣いてワガママを言って、飽き飽きさせてほしい。溢れんばかりのエネルギーで、ぼくを引き摺り回して辟易とさせてほしい。いっしょに生きることが、何でもない当たり前の日々だと錯覚させてほしい。
もし将来、「親なんてやってられるか」と思う時が来たら。この道に車でも走らせて、今日のことを思い出せよ、じぶん。
©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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