息子の語彙が、毎日のように増えている。
ボールを「ぼーぼー」
水を「じゃーじゃー」
ジャンプを「じゃぷ」
恐竜を「がおー」
アイスを「あいしゅ」
海を「じゃぶー」
滑り台を「しゅー」
くつを「くちゅ」
アンパンマンを「あんぱ」
なぜかお菓子は「ばあぱ」。おそらく、ぱいぱい(おっぱい)の派生だと思われる。
なんだか、牡蠣みたいだ。大量の海水を吸い込み、栄養をこしとって身を育てていくように、こどもはことばの海を漂いながら自らの世界を育てている。
そして親のことばが、息子にとって最初に航海する海原。これはなかなかに責任重大だぞと、リビングに乱積みされていた色の絵本を広げ「あお、あか、きいろ」と語りかけても応答がない。教えようと思って語りかけたときは、たいがい反応が鈍めだ。
一方、日常のなかで意図せず口から出てしまったことばを、瞬時に覚えることがある。
庭に野生のキョンが現れた日、ぼくが反射的に喉から声を出して「がーっ」と追い払うと、息子も瞬時に「がーっ」と参戦する。それからキョンを見かけるたび「がーっ」と威嚇するようになった。妻には「そんなことばかり覚えさせて!」と失笑された。
ここ最近は、単語だけでなく、文章のまとまりで発することも増えた。暑くなってきたので、扇風機を出してピッとスイッチを入れると、警戒して怖がる息子。妻が「ピッて言ったね」と声をかけてあげると「ぴってった」「ぴってった」と連呼する。その時から扇風機は「ぴってった」になった。
あれ?と疑問が浮かぶ。まったく「とおと」と呼ばないぞ。
母親を指す「かあか」は、かなり早い段階で習得し、朝から晩までカラスみたいに「かあか」と連呼している。ぼくも、わりと長く時間をともにしているはずなんだけどなあ。とおとの部分だけ、辞書のページが抜け落ちているというか、ゼッタイに言わないぞ、という頑なな意思さえ感じる。
そんな、とおと言わずの息子が、妻と公園で遊んで帰ってくると、在宅で仕事をしていたぼくに駆け寄り、興奮気味に話しかけてくる。
「カプ!カプ!カプいってた!カプいってった」
親指と人差し指をつけたり離したりしながら、両手をあげて、何かを訴えかけるように「カプいってた!カップいってった!うまうまいってった!カプいってた!」。それが2〜3分も続いた。そんな息子は初めて見た。いったいどこで、なにを吸収してきたのだ?
妻の話によると、公園の橋の上から池を観察していたら、50匹くらいの亀が口をパクパクしながら近づいてきたらしい。「かめいっぱいいるね」「かめ、織ちゃん(息子)のこと見に来たんじゃないの?」と話しかけた後から、「カプ、カプ」と連呼するようになったとのこと。どうやら手は、亀の頭か口を真似ているようだ。
息子がことばにして、誰かに伝えたいと思える出来事と日常の中で出会えている事実。そして、その伝えたいと思う相手の一人として、ぼくも末席に加えてもらっている計らいに感謝し、“とおと”なんて呼ばれたいと思ったじぶんをそっと諫めた。
©︎kengai-copywriter 銭谷 侑 / Yu Zeniya
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